自由主義は死んだのか?
2009.06.29
ハイエクを勉強しています。
私の経済に対する考えは、ハイエクが唱える自由主義経済が基本にあります。
ハイエクの理論、考えは、現代社会にも見事にマッチしています。
新自由主義の限界だとか、ケインジアンこそが正しかっただとか言われますが、こういう時代だからこそ改めてハイエクを読むと、しっくり肚に落ちるのです。
例えば社会における「保障」について。
この経済状況の厳しい中では、とかく私たちは「保障」を求めてしまいがちです。
しかもその保障は
「所得の減少が発生しないように保障せよという要求」であり、つまり
「個人の努力の客観的な成果ではなく、その人が主観的に考える功罪と見合うような報酬を支払えという要求」
であることが多いのです。
例えば、ある人がその人の失敗でもないのに、また熱心な努力と卓越した技術にも関わらず所得が減ったり希望をくじかれたりする事が、この社会では存在します。
熟練工の仕事が新技術のイノベーションなどでなくなってしまう事もありますね。
これは我々の正義感からすれば堪え難いし、政府にこれをなんとかしろと求めたとき広く支持が集まるのは無理のない事だとハイエクも同意しています。
しかし、これをすべての職業に、すべての個人に保障する事は不可能だとハイエクは指摘します。
これをやると、保障された一部の人はいい目を見ますが、かならずその他の人たちが割を食うわけです。
そして、これを押し進めると、誰か(政府当局)が恣意的に国民の報酬を決定する事になり、それは個人が仕事の結果を求めるのではなく「定められたルールに従う」事を重視する傾向をつくってしまう、そういう世の中になってしまうからです。
まさに的を射ているなーと感じます。
もちろん厳しい状況を乗り越えていかなくてはいけない現実は大変ですが、誰かにすべてを決められ、コントロールされる社会ほど恐ろしいものはありません。
計画経済や、政治の過度な介入は、必ず国を滅ぼすものだと考えます。
ダンテが言うように「地獄への道は美しく舗装されている」のです。
なんでも保障してくれる、みんなどれだけ働いても平等な報酬をもらう、職業は選べないけど失業の不安もない、そんな社会がもしかしたら一見美しく見えてしまうかもしれないけれど、それがもたらす結果は恐ろしいわけです。
ただし、「限定的保障」、つまり健康などを維持するための最低限の食料・住居・衣服などを全国民に保障する事は、個人の自由を維持する事と原則的に両立できるとしています。
つまり、最低限のセーフティネットは張れるわけです。
政治はややもするとバラマキに走りがちです。
なぜなら、それが「美しく舗装している道」のように有権者に見えるから、票を獲得しやすいからです。
本当にあるべき社会の姿、本当に長期的に豊かになれる姿を、政治家は堂々と語れなくてはならないはずです。
しかし、実際はなかなか難しいところもある。
私は地盤も看板もカバンもない新人候補です。
その新人候補が、例えば特定の勢力の思惑と違う事をはっきり言う事はなかなか難しい事なのです。
こうした事も、私の尊敬する先輩に相談をした事があります。
その先輩からは、
「今は君はまだ力がない。だからあえて今敵を作る必要はない。ただ、政治に哲学と理念は持たなくてはいけないし、それを断固として守らなくてはいけない。相手におもねる政治は最悪である。だから、愛を持って正論をはき続けなさい」と言われました。
まさにその通りですね。
しっかりと腑に落ちた気がしました。
久しぶりに長くなりました。
まだまだ駆け出しですが、がんばってまいります!
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